自然栽培米ササニシキ-在来種・伝統のお米産地直送専門店

日本での肥料の歴史|自然栽培米

更新日:2022年4月28日 公開日:2016年2月19日

自然栽培米ササニシキの稲私達がお届けしている自然栽培米は
農薬・肥料と不使用ですが、
この肥料不使用というのは、多くの農家さんにとって
大きな壁となっいます。

肥料なしで作物が育つのか?というのは誰もが持つ疑問です。

結論的には
稲作では、肥料なしでも栽培可能です。
畑作で自然栽培をされている方は、
マメ科植物やエンバク等を栽培地に組み合わせながら
持続的に自然栽培を続けています。

肥料の歴史

肥料まき

今では、肥料を使用することが当たり前になりました。

日本の稲作の平均収量は
1880年(明治)には200kg/10a(約3.5俵/反)
1930年(昭和初期)には300kg/10a(約5俵/反)
2015年には、約540kg/10a(約9俵/反)
と生産量と生産効率が非常に上がりました。

この農業の効率化に大きく影響したのが
農業の機械化、農薬、肥料と言えるでしょう。

収量が上がると同時に
機械化や農薬により
労働時間も削減でき、
農薬や肥料はまさに必須のアイテムとなりました。

日本は、いつ頃から肥料を使用しだしたのでしょうか?

・縄文時代、弥生時代、古墳時代(~600年)
肥料は使用していなかったようです。

・奈良時代(710-794年)
レンゲソウなど肥料として鋤きこんでいたようである。
また、山野の草木を焼いた草木灰が用いられていた。

・平安時代(794年-1185年)
山野の草木を焼いた草木灰
草木や葉を刈ってそのまま田畑に敷きこんで堆肥化させる刈敷をしていたようである。
また、地方農民も牛馬を使用したことから厩肥も使用した。

・鎌倉時代-戦国時代(1185年-1603年)
この頃農民の努力と大名領主の奨励で農業技術が発達し
農業生産力が向上した。
この時代の肥料も
草木灰、刈敷、厩肥が多く利用され、
鎌倉時代末期(1300年頃)には人糞尿を肥料として使用されるようになったようである。

・江戸時代(1603年-1868年)
特に江戸時代では、下肥(人糞尿)、植物油粕や魚肥を使用していた。
江戸時代の肥料学には、次の事が記載されている
※田畑を肥やすものとして、緑肥、草肥(堆肥)、灰肥(草木灰)、泥肥(池の底に溜まった土)の4種類がある。
※草肥をよく腐らせて細かく切り返し、人糞尿をかけて、天日干しさせた物を元肥として使用する。

・明治時代(1868年-1912年)
欧米化が進み、農作物は市場の商品として流通していく。
明治中期までは、大豆粕や魚肥等が中心として使用されていたが
明治末期1890年頃になると生産量向上のために化学肥料の使用が始まる。
過リン酸石灰(Ca(H2PO4)2 )、硫安((NH4)2SO4 )が用いられるようになり
窒素、リン酸、カリという化学肥料での考え方が広まった。

日本の農薬の歴史を見ると、
海外から農薬の技術が持ち込まれ、1891年頃から使用したと言われています。

それと同じくして、化学肥料が海外から入ってきました。

1890年前までは
日本では、自然界の有機物を堆肥や灰等にして使用していたのです。

化学肥料という工場産物で不自然な物を土壌に入れだしたのは
ここ100年くらいの間なのです。


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Posted by 自然栽培米ササニシキ-在来種・伝統のお米産地直送専門店 at 23:37 / 自然栽培農産物の知識コメント&トラックバック(0)

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