こんにちは!自然栽培米専門店ナチュラルスタイルの井田敦之です。
日本への稲作の伝来は諸説ございますが、今から約3,500年前、大陸より稲が伝えられたと言われています。以来、現在に至る3,500年という歴史の中で、各地域に定着してきました。
現代では、近代的な育種方法により品種改良がされていますが、昔は自家採種により稲の遺伝子を守っていました。
特に昔より自家採種で引き継いできた稲を「在来稲」と呼びます。
昭和37年には、約1,300種もの数が確認されていた在来稲ですが、時代の流れと共に栽培されなくなり、1973年にはわずか8種にまで減ってしまいました。しかし一方で、有志によって在来稲の種を保存する活動が各地で取り組まれています。
種の存続が危ぶまれる在来稲。現代の農業では栽培が難しいと言われているため、栽培に取り組む農家は非常に少ない傾向にあります。
しかしそのような中、在来稲「亀の尾」と「旭一号」の栽培に挑戦する自然栽培農家が熊本県南阿蘇にいます。
(参考:米穀安定供給確保支援機構「日本の在来稲とその現状 p.7」https://www.komenet.jp/pdf/chousa-rep_R01-1.pdf)
<目次>
熊本県南阿蘇の赤城誓一さんは、無農薬・無肥料の自然栽培米農家です。
赤城さんが自然栽培米作りを志したきっかけは、
「自分の子供には、安心安全の自然栽培米を食べさせたい。」という想いからでした。
赤城さんは、熊本県の他の地域で自然栽培米を作っていましたが、南阿蘇の米農家さんが取り組む環境保全活動や食に対する考え方に魅了され、共に農作業をする中で、南阿蘇の自然環境に惚れ込み、移住を決意しました。
赤城さんは、南阿蘇の豊かな自然環境の中で心に決めました。
「在来稲の栽培に挑戦しよう」
ここから赤城誓一の「亀の尾」・「旭一号」への挑戦が始まりました。
赤城さんが作っている自然栽培米の品種は、亀の尾と旭一号です。
2つの品種は共に明治時代に生まれた日本の伝統的なお米で、現在では在来種米とも呼ばれています。
亀の尾と旭一号(旭系統)はその昔、「西の旭、東の亀の尾」とも呼ばれていたほど米市場を賑わせていました。しかし、今ではほとんど作られていません。旭一号は、西の熊本県においてごく一部の農家が作っていますが、亀の尾は全国でも皆無に等しく「幻の米」とも言われているのです。
この章では主に亀の尾に焦点を絞り、歴史や衰退した理由、赤城さんの亀の尾・旭一号作りについて説明します。
亀の尾は、明治29年(1896年)、山形県の農家・阿部亀治によって育成された稲の品種です。
亀治は、独学で農業を学んだ農家でした。冷害が起こった1893年、神社に参詣していた亀治は、近隣の田んぼに植えられていた在来種「惣兵衛早生」の中に、生き残った3本の穂を発見します。これを種とし、3年がかりで育成させて生まれたのが亀の尾です。
亀の尾は、冷害を耐え抜いただけあって病気に強く、多収を望める品種でした。飯米・酒米・寿司米いずれの用途でも評価が高く、1925年には東北・北陸地方を中心に栽培が広まり、当時の日本の代表的な品種になりました。
(画像参照:阿部亀治という人:https://www.town.shonai.lg.jp/kurashi/bunka/bunkazai/kamehouse/abe.html )
亀の尾の食味は硬質であっさりしているので、おかずの味を引き立てると評判でした。白米のままでも美味しいのはもちろん、その食味を活かして寿司などにもよく合うお米でした。
亀の尾は多数の子孫品種を持っており、現在多くの日本人が好んで食べている「コシヒカリ」や「あきたこまち」、「ひとめぼれ」などの源となっています。これらの品種が持つ良い食味は、亀の尾から受け継がれたものなのです。
亀の尾や旭一号は、昭和初期まで盛んに作られていましたが、1970年代にはほとんど作られなくなりました。
その背景には、新品種の開発や、日本人の味の嗜好が”あっさり”から”もっちり”に変化したことが背景にありますが、大きな理由の一つには、農薬・肥料を使用する現代の農業には不向きであったことが挙げられます。
戦後深刻な食糧難に陥った日本では、米の増産が目指されていました。米の安定的な多収・供給は急務であり、農業の効率化を図るために農薬・肥料が使用されることとなったのです。米の大量生産を可能とした農薬・肥料は急速に普及し、現代では、農薬・肥料の使用が当たり前となりました。
しかし、戦前から栽培されていた亀の尾や旭一号は、肥料を使用しても多収を望めません。なぜならば、肥料を与えると、稲が倒れてしまうのです。
現代品種では、多肥条件でも倒伏せず増収できるよう開発をしてきました。
亀の尾や旭一号は、昔の稲の遺伝子を引き継いでいるので肥料の使用には向きません。つまり在来稲を育てるには、無農薬・無肥料の昔ながらの自然栽培である必要があるのです。
(参考:米穀安定供給確保支援機構「日本の在来稲とその現状 p.8」https://www.komenet.jp/pdf/chousa-rep_R01-1.pdf)
(参考:農林水産省農林水産技術会議「新たな用途をめざした稲の研究開発 p.4」https://www.affrc.maff.go.jp/docs/report/pdf/no06.pdf)
赤城さんは現在、1町の田んぼで亀の尾と旭一号を育てています。先述した通り、在来稲は現代において栽培が難しいため、在来稲をこれほどの広さの田んぼで栽培する農家はあまりいません。
赤城さんは「南阿蘇なら、亀の尾と旭一号を作ることができる」と考え、南阿蘇に移住しました。栽培が非常に難しい在来稲の「亀の尾」と「旭一号」をなぜ作ろうと思ったのか、赤城さんにお話し頂きました。
赤城さんは、これまで住む場所も変え挑戦の連続でした。
誰もが栽培をあきらめる現代品種のルーツとなっている在来稲の栽培に挑戦して、「亀の尾」・「旭一号」を届けたかったのです。
現在日本の農業において、農薬・肥料を使用する慣行栽培は全体の約95%を占めています。自然栽培の普及率は0.05%以下と言われており、赤城さんのように在来稲を自然栽培で育てている農家は、さらに少ないです。
現代の多肥量栽培で倒伏により衰退した在来稲の「亀の尾」・「旭一号」
この時代に逆行した在来稲は、無農薬・無肥料の自然栽培でないとできないお米です。
食味に関しても、「亀の尾」・「旭一号」は、現代品種の甘味・粘りのあるお米とは異なり、あっさりとしています。
本来のお米を残したい私たちナチュラルスタイルは、在来稲を残したいと願う赤城さんの挑戦を追っていきたいと思います。
赤城さんの亀の尾と旭一号の種が、次世代に継がれてゆくことを願うばかりです。
Tags: 自然栽培米, 無農薬, 南阿蘇, 亀の尾, 旭一号, 在来種
Posted by 自然栽培米ササニシキ-在来種・伝統のお米産地直送専門店 at 10:08 / 井田のササニシキなど伝統米を残す活動コメント&トラックバック(0)