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なぜ無農薬米作りを40年以上続けてこられたのか?|熊本県八代の自然栽培米農家:稲本薫

更新日:2023年1月18日 公開日:2021年11月21日

稲本薫と井田の対談こんにちは!自然栽培米専門店ナチュラルスタイルの井田敦之です。

稲本薫(いなもと・かおる)さんは、熊本県八代市で40年以上もの間、無農薬栽培の道を歩み続けてきた方です。

無農薬の農産物が良いという考えが広がっている現代でも、世の中の99.5%の農家さんは、農薬を使用しています。

まして稲本さんが無農薬栽培を開始した40年以上前は、周りの目も厳しく、よほどの覚悟がないと挑戦できません。

熊本県八代市で一人、挑戦してきた稲本さんの道のりは容易ではありませんでした。

しかし、40年経った今、稲本さんは、無農薬栽培でも収量を安定させる技術を確立させ、自身独自の自然栽培米「稲本1号」を生み出すことにも成功してきました。

今回は、稲本さんが「なぜ40年間も諦めずに無農薬栽培を続けてこられたのか?」をインタビューしました。

無農薬米作りを40年以上続けてこれた理由

熊本県八代市の稲本薫さんは、無農薬栽培を40年以上前に開始し、さらに肥料も使用しない無農薬・無肥料栽培を35年以上前に始めました。

周りの農家さん達が農薬を使用する中、どうして無農薬栽培を貫くことができたのか?を伺いました。

無農薬栽培歴40年以上の稲本薫さん

稲本薫

もともと稲本さんの実家は農家で、みかんやい草を栽培していました。
みかんやい草は、農薬を多用する農産物の一つですが、お米作りをし始めた稲本さんは、無農薬での栽培に挑戦しようと志しました。

稲本薫さんが無農薬栽培を志したきっかけは2つあります。

その一つが「糠と粕の違い」を知った事

糠と粕の違いは、漢字の作りを紐解くと分かります。
「糠(ぬか)」とは米に健康の康。
「粕(かす)」とは米に白。

つまり白米は”カス”であり、健康になりたければ糠の付いたお米が良いと昔の人は既に知っていたのだと衝撃を受けたと言います。

お米の周りの糠には、農薬が残留しやすいために無農薬が必須だと思ったと言います。

もう一つは、「玄米正食」について知ったことです。昔の日本人が食べていた伝統的な主食である玄米は、現代人が抱える生活習慣病を予防する効果が期待できると知り、「糠」と「粕」の話にも密接に関わっていたことからも、無農薬玄米を作ろうと思ったのです。

辛い時期もあったが「やめようと思ったことは一度もなかった」

稲本薫さん田んぼの前

現在では、広大な農地で自然栽培米を育てている稲本さんですが、取り組み始めた当初は苦難の連続だったと言います。しかし、「やめようと思ったことは一度もない」そうです。自然栽培の大家と呼ばれるまでに経た道のりは、どのようなものだったのでしょうか。

虫・草・収量減…苦悩の連続だった最初の10年

無農薬の玄米作りを始めたときは「自分たちが食べる分だけ」と今よりも狭い面積で栽培していました。そこから徐々に面積を拡大していきましたが思うように収量を得られず、涙が出るほど大変だった時期もあったそうです。

自然栽培では農薬や肥料を使わないので、手作業で手入れなどをしなければなりません。最も大変だったのは、始めてから5年目のことでした。田んぼじゅうに生えた草を苦労して地道に刈り取った後、ウンカが飛来し稲が全滅したのです。

また、無農薬に挑戦しだしたのは今から40年以上前です。

周りの農家さん達が、全員、農薬を使用する中、一人で挑戦していたのです。周りの人たちとの人間関係も大事にする田舎では、非常に自分の信念を試されました。

初志貫徹で得た2つの財産

稲本さんが自然栽培を始めたとき、周囲の農家のほとんどが農薬を使用して作物を栽培していました。そのため、農薬の影響を受けないよう「山の上など綺麗な環境で自然栽培をしようか」と考えたこともあるそうです。

しかし農地の拡大を視野に入れていたので、その考えは現実的ではありませんでした。さらに、日本や世界に自然栽培を広めるためには、「慣行栽培が行われている農地でも、無農薬栽培ができる技術を確立させなければ意味がない」とはっきり自分の中で使命を抱き、八代の地で無農薬栽培を続けようと決意したそうです。

最初の10年~15年は成果が出なかったため経済的にも余裕がありませんでした。農機具は中古のものを使うなど、家計を切り詰めて辛抱したと言います。経営が安定するまでには、40年以上という歳月がかかりました。

しかし、稲本さんはこの道のりの中で2つの財産を得ました。
1つは「無農薬での栽培技術」もう一つは「稲本1号」です。辛抱の歳月の中から生まれたかけがえのない財産なのです。

無農薬栽培の農業改良普及員になる

稲本自然栽培米

稲本さんは農業改良普及員の資格を取得していました。

農業改良普及員とは、農業従事者に対し直接的に農業技術を指導したり、経営の相談に応じたりする国家資格を持った専門家です。

農業改良普及員といっても稲本さんの方向性は、少し違います。

稲本さんは、無農薬栽培での農業改良普及員を目指しているのです。

日本のみならず世界の農業を無農薬にするため、教育的な立場で農業をサポートし、飽くなき探求心を持って無農薬での栽培技術を磨いてきました。

無農薬で稲作栽培技術の確立

一般的な慣行栽培よりも非常に難しいと言われている無農薬栽培。稲本さんの無農薬米作りを成功に導いた大きな特徴の一つに、半不耕栽培があります。

半不耕栽培とは、書いて字のごとく「土を半分耕す」栽培方法です。肥料がまかれた田んぼの土には、約10㎝~20㎝の深さのところに肥料が蓄積し、害を与える層(肥毒層)があると言われています。

半不耕栽培では、この肥毒層を掘り起こさず、土の表面から5㎝ほどだけを耕しそこに苗を植えます。こうすることで根が肥毒層に触れず、病害虫の影響も受けにくくなるのです。

半不耕栽培を続けてゆくうちに品質・収量ともに安定してきたと言う稲本さん。半不耕栽培の技術と理論を、自身の田んぼで確立させた極めて稀有な存在として、広く知られることとなりました。

無農薬での栽培に適した品種「稲本1号」

稲本自然栽培米の玄米

稲本さんは、無農薬での栽培技術の他に、無農薬での栽培に適した稲の品種を探していました。

半不耕栽培で長年自然栽培米あきたこまちを作ってきた稲本さんに転機が訪れたのは2016年、熊本地震が起こったときのことです。

未曾有の大地震は、八代の地にも甚大な被害を与えました。稲本さんの田んぼは塩害に遭ってしまったのです。稲はほぼ全滅状態。これを見て稲本さんは「もうダメだ…」と諦めかけたそうです。しかし塩害の田んぼの中に、奇跡的に生き残っていた2株の稲を発見しました。

実は、地震が起こる以前から稲本さんは、自分の自然栽培米に少しづつ変化が起こっていたことに気付いていました。それは、長年続けてきた自家採種によって生じていた変化でした。これが地震の塩害によって明らかなものとなり、生き残った稲を見て稲本さんは「この稲はすごいものになる!」と直感的に確信したそうです。そして、翌年育成することにしました。

稲本さんの期待通り、生き残った稲はその後たくましく成長しました。食味もあっさりしており、さらに食べやすい玄米になったのです。この稲は紛れもなく自家採種の賜物であり「天からのプレゼント」だと思ったそうです。稲本さん独自の自然栽培米あきたこまちは「稲本1号」と名付けられました。

「無農薬での稲作栽培技術」や「無農薬栽培に適した品種」を見つけた稲本さんは、これからもこの日本に無農薬の水田が広がるように日々活動をしていきます。

まとめ

環境汚染や食の安全性が叫ばれている昨今において、無農薬・無肥料の自然栽培の良さは徐々に知られてきており、支持・推進する人も増えてきました。

しかし現在、日本の農業において自然栽培に取り組んでいる農家は全体の0.05%以下と言われています。

自然栽培の認知は広がっているのに、いまだ取り組む方は非常に少ないのです。

その理由は、一般の慣行栽培とは、異なった栽培技術が必要となる。そして、周りの農家さんからの圧力にもブレない自分の軸が必要なのです。日本人ならよく分かると思いますが、周りの人と違う事をするのには覚悟が必要なのですね。

「自然栽培に挑戦したが、途中であきらめた」という農家もいるでしょう。継続して実現するのは、稲本さんのように並々ならぬ覚悟や信念、努力が必要なのです。

日本が自然栽培大国になるために稲本さんの後を多くの農家さんが追いかけて、その技術を守り抜き、受け継いでゆくことを願うばかりです。

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