こんにちは!自然栽培米専門店ナチュラルスタイルの井田敦之です。
かつて熊本で盛んに栽培されていた「旭」や「穂増」は、現代の主流のコシヒカリ系のお米とは異なり、あっさりした食味を特徴としたお米です。
この2つのお米は時代の流れとともに衰退し、今ではすっかり作られなくなってしまいました。
熊本県球磨郡の桑原とも子(くわはら・ともこ)さんは、「旭」と「穂増」を昔ながらの無農薬・無肥料・自家採種で栽培する稀有な農家さんです。
今回は、栽培が難しいため多くの収量を期待できない「旭」や「穂増」を、なぜこの現代で作ろうと思ったのか、ご本人に尋ねました。
記事の最後には動画もありますので、ぜひご覧ください。感性豊かな桑原さんらしい観点が、よくお分かりいただけるかと思います。
<目次>
「日本で最も豊かな隠れ里」ともいわれる熊本県球磨郡で自然栽培米を作る桑原さんは、7町もの面積を息子さんと二人で管理するパワフルな農家さんです(1町=約100m×100m)。
私はこれまで何度も桑原さんの田んぼを訪問し、お話をさせていただきましたが、桑原さんはかなり感性が豊かな人です。
自然栽培米の籾種を『喜びの種』と表現しており、自然栽培米を通して、自然の恵みが皆様の体と心の喜びとなり広がっていくことを願っているのです。
今回は、現代においては栽培が難しく生産する農家さんがほとんどいない昔の品種「旭」や「穂増」をなぜ栽培をしようと決めたのか、理由を伺いましたが、その理由が桑原さんらしいのです。
「旭」や「穂増」は、どちらも日本の在来種で、今となっては希少なお米です。
この2種類のお米の共通点は稲の背丈が高いことです。これは、昔のお米の特徴でもあります。
背丈の高いお米は、現代農業では肥料を使うために倒れてしまいます。稲が倒伏するとコンバインでの収穫時の作業効率が悪くなるのでほとんど栽培されなくなりました。
この2種のお米は、逆に昔のような肥料を使用しない自然栽培でないと育てるのが難しいのです。
旭米は、明治時代に「西の旭、東の亀の尾」と評されるほど美味しいお米と評価が高かったお米です。
大粒であっさりした食味をしているのですが、粘りも適度にあり、力強い印象のお米です。現代の良食味品種のルーツとなっているお米です。
「ほまし」とも「ほませ」とも呼ばれており、熊本の在来種米である穂増。
江戸時代に「西の肥後米(穂増)、東の加賀米」と評されており、肥後米の穂増として名を馳せ人気の高いお米でした。
穂増の米粒の見た目は、ずんぐりしており、食味はあっさりとしていますが、適度な粘りがあり、個性を主張するようなお米ではありません。
このようなお米を「江戸時代の人々が日常的に食べてきたんだぁ」と感じていただければと思います。
現代ではほとんど栽培されていないことから分かるように、昔の品種「旭」や「穂増」は栽培しにくい品種です。
それでも桑原さんが作ろうと思った理由は2つあると言います。
1つ目は、気象変動に対応する品種ではないかと考えたことです。
気象変動が大きい昨今では、夏の高温、豪雨など異常気象が続いており、農業に大きな打撃を与えています。米作においても、従来のお米が作りにくくなっています。
しかし、古い品種ほど種に長期間の遺伝が記憶されているので、気象変動にも対応できる可能性があるのでは、考えたのです。
2つ目は、昔の品種のお米を食べて頂くことで、昔の太陽と月と共に生きてきた先人達と、意識はなくとも繋がれたらと思ったためです。
この2つ目の理由が、桑原さんらしい考え方ですね。
戦後に経済発展を成し遂げた日本では生活スタイルも考え方も変わったかもしれませんが、今だからこそ、昔の日本人の生活スタイルや考え方から学ぶことがあるかもしれません。
今回は、現代では作りにくい昔の品種である「旭」や「穂増」を、なぜ 桑原さんは作ろうと思ったのかを伺いました。
昔の日本人は現代のような「大量生産・大量消費」ではなく、地域で生み出したものを循環させて生きてきました。
その生活スタイルは今よりも経済的に豊かではないかもしれませんが、心の面で豊かな部分があったかもしれません。自然栽培米農家さんはみな、目に見えないものこそ大事にしています。
桑原さんも、昔の自然と共に生きてきた豊かな心と少しでも繋がればと思い、昔の品種の栽培に挑戦しているのだと思います。
長い年月を旅してきた「穂増」や「旭」が、今の食卓を豊かになものにしてくれることを願い、桑原さんは栽培していると仰っていました。
Posted by 自然栽培米ササニシキ-在来種・伝統のお米産地直送専門店 at 11:51 / なぜササニシキ・旭など伝統のお米コメント&トラックバック(0)